近江小谷城 ザ・登城
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近畿地方

近江(滋賀県)

信長の妹・お市が嫁いだ浅井長政の浅井氏3代の山城

近江 小谷城[おだにじょう] (山 城) 【所在地】 滋賀県東浅井郡湖北町伊部

 築城時期:  1524年(大永4)  築城者:  浅井亮政

おだに じょう
本丸石垣

 遺 構  《 遺構/曲輪・石垣・土塁・空堀 》

山王丸石垣 

城址銘碑
 小谷城は、高く険しい伊吹山系を背後に控える要害堅固な小谷山にある。また、山麓には、越前(福井県)と美濃 (岐阜県)をつなぐ街道が走り、さらに、南に中山道、西に北国街道が走り、交通の要の地であることが解る。

 幾つかの谷を隔てた大嶽山の最高所に詰城・大嶽城を設け、小谷山の尾根沿いに、自然の地形を巧みに利用して、ほぼ直線的に何段もの曲輪を設けた城だ。

 国道365号から小谷寺のある登山道からは、中腹の番所跡まで車で行くことが出来ます。
ここから、御馬屋跡・御茶屋跡・馬洗池・首据石を経て桜の馬場・大広間(本丸御殿のあったところ)とあり、中丸跡・京極丸跡(京極高清父子が住んでいた所)・小丸跡(久政が自刃した所)と続き、主郭最高所の山王丸に至ります。

 他にも、出丸・金吾丸、さらに、大嶽城に至る峰には、福寿丸・山崎丸などの曲輪があります。
なお、首据石を逆に200mほど下ったところに赤尾屋敷跡があり、落城時、長政が自刃したところです。


 小谷城は、浅井亮政が京極氏の内紛に乗じて台頭、1524年(大永4)に築城し、京極高清を迎え入れたのが通説となっており、その後、久政・長政と3代に渡り拡張整備された。

 1561年(永禄4)、浅井長政は織田信長の妹・お市の方を嫁に迎え、織田家と縁戚関係を結んだ。

1570年(元亀元)、浅井氏は、朝倉氏攻撃中の織田軍に反旗を翻し、背後を脅かし信長を討ちもらしたことから、その後の、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍との“姉川の戦い”を経て、織田軍の攻撃にさらされることになる。

 最後まで浅井氏を支え続けた堅城も、朝倉氏が滅び、ついに1573年(天正元)8月、清水谷から侵攻した織田軍に中丸(久政)と小丸(長政)が分断され、落城した。

 新領主は浅井氏攻撃で名を揚げた羽柴秀吉となるが、秀吉は小谷城を捨て、その資材を利用して今浜に平城の長浜城を築き、小谷城は廃城となった。


 かくして、小谷城は歴史からその姿を消すことになるが、織田氏および浅井氏の血は、長政の3人の娘により、豊臣氏(長女・茶々=淀殿)・ 旧主家京極氏(次女・はつ=高次正室)・徳川氏(3女・小督=2代将軍秀忠正室)と生き続けるのであります。


主郭最高所の山王丸より
琵琶湖・竹生島方面を望む

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