| 東海地方 |
| 美濃(岐阜県南部) |
関が原の役後、岐阜城(稲葉山城)を廃止して築いた新城
| 築城時期: 1445年(文安2) | 築城者: 斎藤利長 |
本丸石垣 |
| 遺 構 《 遺構/曲輪・石垣・堀跡 》 |
腰巻土塁状になっている本丸石垣の内側 |
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関が原の役後、斉藤道三や織田信長の居城であった金華山の岐阜城(稲葉山城)は徳川家康により廃城とされ、
平城として加納城が築城され、江戸時代には、こちらが岐阜の中心であった。岐阜には、2つの岐阜城があった
ことになる。
当時は、岐阜城(稲葉山城)の天守・櫓などが移築されたそうですが、現在、周辺は市街地化していて、本丸内・本丸堀跡は整備されてはいるが、石垣・堀跡の他に何の遺構も無い。 岐阜城の岐阜公園内にある岐阜市歴史博物館には、加納城の模型・資料などが展示されています。
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現地案内板
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1445年(文安2)、斎藤利長が築城し、天文年間(1532〜55年頃)には廃城となっていた。
1601年(慶長6)、“関が原の役”後、天下人同然の徳川家康は、岐阜城を廃し、本多忠勝を総奉行とし、東北・北陸の諸大名に命じて加納城を拡張して再建させ、娘(亀姫)婿の奥平信昌を10万石で入城させた。 1635年(寛永12)、信昌のこの城を継いだ三男忠政の嫡男忠隆が奥平氏3代で無嗣断絶した後、城主は、大久保氏・松平(戸田)氏3代・安藤氏3代と入れ替わり、 1756年(宝暦6)に、武蔵岩槻から永井直陳が3万2千石で入封し、永井氏が6代続いて明治を迎えた。
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