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東海地方

三河(愛知県東部)

幕末の渡辺崋山は田原藩三宅氏の家老、立派な桜門が

田原城[たはらじょう] 別称=巴江城 (平山城) 【所在地】 愛知県渥美郡田原町田原字巴江
更新 合併(2003.08.20)により 愛知県田原市田原町字巴江 に住所変更 

 築城時期:  1480年(文明12)頃  築城者:  戸田宗光

たはら じょう

正面に構える復興桜門

 遺 構  《 復興/桜門・二の丸隅櫓  遺構/曲輪・石垣・土塁・堀・井戸 》
 往時には、周りを海に囲まれた堅固な城で湾の形が巴形になっていたところから、”巴江城”とも呼ばれていました。現在は、丘陵地にあり、田原中学校が隣接している。正面に復興桜門、左右には城壁と水堀が続き立派な佇まいです。

 桜門をくぐると、右手に三の丸跡(護国神社)、左手に二の丸跡(田原市博物館)、正面が本丸跡(巴江神社)の配置となっている。もともと天守閣はなかった。

 腰曲輪には、往時、田原藩11代三宅氏の江戸家老でもあった渡辺崋山を記念した「崋山会館」が建っている。

 かなり観光施設化されており、城の規模の割には建築物が立派すぎるような気がした。

 田原城は、1480年(文明12)頃に戸田宗光により築城された。

 今川氏の勢力下にあったが、「桶狭間の合戦」以後、徳川家康の勢力下に入り、1590年(天正18)に家康が関東に移封となると、三河吉田城の池田輝政の持ち城となり、城代・伊木忠次により、ほぼ現在の縄張に修築された。

 池田氏転封のあと、“関が原の役”の戦功により、旧主・戸田尊次が1万石で返り咲く。

 1664年(寛文4)に三河拳母城(桜城)から三宅康勝が1万2千石で入り、以後12代続いて明治を迎える。城は明治5年に取り壊された。

二の丸隅櫓(復興) 水堀&城壁石垣
本丸跡の巴江神社 古井戸跡

登城アクセス
 車  : 東名高速道豊川IC〜国道151号線〜国道1号線
鉄 道 : 豊橋鉄道渥美線三河田原駅〜徒歩約10分
駐車場 : 無料駐車場(歴史博物館・50台程度)を利用


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