
| 東海地方 |
| 三河(愛知県東部) |
往時、珍しく天守閣が二の丸にあった総構え6万石の城下町
| 築城時期: 1585年(天正13) | 築城者: 徳川家康 |
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本丸 丑寅櫓(うしとらやぐら)
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| 遺 構 《 復元/丑寅櫓・二の丸鍮石門 遺構/曲輪・石垣・土塁・堀 》 | |
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今は天守台さえ無く、体育館となっていますが、かつては珍しく、ここ二の丸に天守閣(?!)があり、その精巧な天守閣(三層4階)の模型が、姫丸跡にある西尾市歴史資料館内にあります。
平成8年に、本丸丑寅櫓と二の丸鍮石門が木造で再建されています。また、土塁もよく残り、水を満々とたたえた内堀もあり、樹木も多く、城址の雰囲気が良くかもし出されています。 隣には、城郭風建物の「西尾市立幼稚園」まであります。なお、資料館・丑寅櫓は入場無料なので嬉しいです。
後の、“南北朝の乱”、“応仁の乱”で東西吉良氏が争い、やがて、今川氏・徳川氏の勢力に呑まれていった。
“桶狭間の合戦”の後、徳川家康が今川方城代を敗走させ、家康配下の酒井正親が城主となり、西尾城と改名した。
1585年(天正13)、徳川家康は三河諸将に城の大改修を命じ、西尾城は近世城郭となった。
1590年(天正18)、正親の子の酒井重忠が家康の関東移封に従うと、三河岡崎城主田中吉政の持ち城となり、三の丸の拡張などをして、城郭はほぼ完成した。
1638年(寛永15)、時の城主大田資宗は城下町を囲む総構えの工事に着手し、次の井伊直好の時の1657年(明暦3)に総構えは完成した。
その後も譜代大名がめまぐるしく変わるが、1764年(明和元)、羽前(出羽)山形から6万石で松平(大給)乗佑が入り、5代続いて明治を迎え廃藩となった。
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間口約9m、奥行き約5m、高さ約7mの堂々たる櫓門です |
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往時、この門は二の丸御殿に至る表門でした |
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