拳母城 ザ・登城
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東海地方

三河(愛知県東部)

豊田市美術館の一角に申し訳なさそうに建つ復興隅櫓

拳母[ころも] 別称=七州城 (平山城) 【所在地】 愛知県豊田市小坂本町7丁目

 築城時期:  1780年(安永9)  築城者:  内藤政苗

ころも じょう 隅櫓
櫓台石垣は、上辺部東西10.8m、高さ6m

 遺 構  《 復興/隅櫓  遺構/櫓台石垣・土塁・井戸跡 》
 現在城址は、広大な豊田市美術館などの文化施設の一角に申し訳なさそうに復興隅櫓が建っている。

 この隅櫓の櫓台部分の石垣が当時のもので、櫓台に続く石段と城壁部分は後から新造されたもので、一見してすぐに判ります。


 拳母城というのは3つあり、鎌倉時代に中条氏によって築かれた金谷城(豊田市金谷)が最初。その後、1604年(慶長9)に三宅康貞が入封して、戦乱で荒廃した金谷城を捨て、北へ1kmの地に陣屋を構え、桜城(豊田市元城町)と呼ばれた。

 1749年(寛延2)、上野安中(群馬県安中市)より内藤政苗が入封、桜城の大改修に着手したが、度重なる矢作川の氾濫に悩まされ完成しなかった。

 1780年(安永9)、政苗の養子の内藤学文が、洪水を避け、幕府から築城費を与えられて童子山に築城したのが、3つ目の、ここ、拳母城で、江戸時代中期の比較的新しい城です。

 内藤氏2万石の館として、政文以降6代89年続きましたが、明治4年に全ての建物が取り壊されました。

城址銘碑 又日亭 又日亭
もと寺部領主渡辺家の城内にあった書院と茶席を移築


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