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関東地方

下総(茨城県南部)

“関が原の役”の前、徳川家康の次男結城秀康が居城した名族結城氏の本城

結城城[ゆうきじょう] (平 城) 【所在地】 茨城県結城市字結城

 築城時期:  不明  築城者:  不明

ゆうき じょう 城址曲輪(東側部分)

 遺 構  《 遺構/曲輪・空堀・土塁 》
空堀跡(西側浄水場前)  聡敏神社
結城藩初代水野勝長の祖父水野勝成を奉った神社
 
 塀だけを見ると、城郭かと勘違いするほど見事な長塀を構える結城小学校の近くに城址はあります。
 城址は本丸の一部が城址公園として整備され、公園内には遺構らしきものはありませんが、北側の外れには、「結城合戦タイムカプセル」の石碑があり、西端には、水野氏を奉った「聡敏神社」があります。

 北側の駐車場あたりから見ると、台地上に築かれた城であることがよくわかります。
公園西側の本町浄水場前には、幅の広い空堀跡があり、また、南側の「みかつきはし」と言う橋がありますが、ここの堀は「埋蔵金伝説」により、後世に掘られた跡のようです。

 公園南東方角の松月院(寺)の向かい側の大きな銀杏の樹のところに、「結城氏御廟」があり、初代・朝光から16代・政勝までの歴代藩主の五輪塔が整然と並んでいます。


 結城城は、治承年間(1177〜1180年)に、源頼朝に従って平氏追討に軍功を挙げた結城朝光がこの地を与えられ築いた説と、南北朝動乱期に築城されたと言う2説があります。
 その後、結城氏は室町時代に関東八家の一つに列して勢力を奮い、16代・政勝が領国支配に関する決まりを定めた「結城家法度」は有名です。

 1,590年(天正18)、17代結城晴朝は豊臣秀吉の“小田原攻め”に参陣し、10万石を安堵された。
翌年、徳川家康の次男で秀吉の養子となっていた秀康を晴朝の養子に貰い受け、1,601年(慶長6)に、結城秀康が越前北の庄(福井市)68万石に移封されるまで、結城氏は関東の雄として栄えた。

 結城秀康の越前北の庄(のちの福井城)への転封後、一時廃城となり天領となったが、1,700年(元禄13)に、能登西谷から備後福山藩祖水野勝成の孫・水野勝長(水野家は家康の生母・於大の方の実家)が1万7000石で入り再築され、ここの水野家が宗家として11代続き、明治を迎えた。

結城氏御廟
結城氏歴代の20基の五輪塔が並ぶ(整備工事中)
“結城合戦”タイムカプセル埋設ノ碑

結城小学校長塀
城址風情満点です!
市内蔵造りの家
カギ型路地やクランク型道路なども多く、蔵造りの家
も残り、城下町雰囲気漂う結城市街

◇◇ 結城合戦 ◇◇
関東公方・足利持氏が、将軍・義教と戦って滅んだあと、
1,440年(永享12)、結城家11代氏朝が持氏の遺児2名を奉じて兵を挙げ、
幕府は諸将に討伐を命じ、落城まで一年余の歳月を持ちこたえ、
結城の名を天下に轟かした合戦

登城アクセス
  車  : 東北自動車道佐野藤岡IC〜国道50号線
 鉄 道 : JR水戸線結城駅〜タクシー
 駐車場 : 城址公園の無料駐車場(100台程度)を利用

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