大宝城 ザ・登城
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ザ・登城

関東地方

常陸(茨城県北部)

南北朝時代、小田城・関城・下妻城と共に南朝方の拠点となる

大宝城 (平 城) 【所在地】 茨城県下妻市大宝(大宝八幡宮境内)

 築城時期:  1232年(貞永元)  築城者:  下妻長政

だいほう じょう

大宝八幡宮 山門
関東最古の八幡宮、城址は境内にあり

 遺 構  《 遺構/曲輪・土塁 》

八幡宮石碑&一の鳥居近くの土塁 

本殿北側(裏側)の土塁 
 大宝城は、大宝小学校と大宝八幡宮境内にかけての範囲を城域としていた。

 現在は、小学校建設と宅地化により、城の遺構はほとんど残っていない。
八幡宮の一の鳥居付近に残る土塁と、八幡宮境内北側に残る土塁が、現在、僅かに残っている遺構である。

 往時は、西・北・東の一部を大宝沼に囲まれた台地の自然の地形を利用した城郭で、東西288m・南北576mの北方を本丸、南方を大手、東を搦め手とした縄張りであった。
沼の反対側に、関城跡(茨城県関城町)が存在する。 今では、沼は一面水田となっている。

 八幡宮本殿北側(裏側)に、この地で討死した、下妻政泰公の碑が建っている。

 大宝八幡宮の本殿は、桃山時代初期に常陸下妻城主・多賀谷尊経により再建されたもので、国重要文化財に指定されている。


 1086年(応徳3)、下津間盛幹が初代城主となり、約100年後、4代下津間弘幹の代に下津間氏は終わりを告げた。

 源頼朝の命により、大宝城は小山朝政が治め、小山氏は代々下妻氏を名乗った。

 南北朝時代の1341年(興国2)、春日中将顕国が興良(おきなが)親王を奉じて常陸小田城よりここに移り、東国における南朝方の拠点として、相対する関城の関宗祐・宗政親子と相呼応して北朝方と戦い、足利尊氏の重臣高師冬にたびたび攻められた。

 1343年(興国4)、北朝方の猛攻を受けて大宝城は落城し、6代城主下妻政泰は討死した。


下妻政泰 忠死之地碑 

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